ウマ娘・ダイイチルビーが「1.5th Anniversary」のストーリー第三話より新登場しました。
同じく新登場のウマ娘・ケイエスミラクルとは共に切磋琢磨する仲であり、なにかと関わってくるダイタクヘリオスにはちょっとつれないダイイチルビー。
ウマ娘・ダイイチルビーのキャラクターにはいったいどのような史実が反映されているのでしょうか。
華麗なる一族の血統に生まれ、一億円牝馬と呼ばれたモチーフの競走馬・ダイイチルビー。
その生涯とともに、ウマ娘・ダイイチルビーについて紹介します。
【ウマ娘】ダイイチルビーが実装!
8月24日にめでたく「1.5th Anniversary」を迎えた「ウマ娘」。
その「1.5th Anniversary」のストーリー第三話にてアストンマーチャンと、2022年8月21日配信された「ぱかライブTV」で実装が発表されたケイエスミラクル、ダイイチルビーの3人のウマ娘が初登場しました。
左耳には花の耳飾り、大きな赤いリボンに縦ロールのロングへアと小柄な体格は見るからに可憐な印象のダイイチルビー。
それでいて常に気高く厳粛な振る舞いをとろうとしているのは、華麗なる一族としての矜持から。
ダイイチルビーの高貴な言動は時に近寄りがたい印象を与え、特にダイタクヘリオスからはつれないと嘆かれています。
実は実装前からダイタクヘリオスとメジロパーマーの会話に登場していた「つれないお嬢」とはダイイチルビーのことだったのです。
メジロパーマーはダイイチルビーの名前を大日如来と勘違いして覚えており、その姿を見たときにはかわいらしさに胸を打たれていました。
【ウマ娘】ダイイチルビーとダイタクヘリオスの関係は?
ダイタクヘリオスはメジロパーマーにダイイチルビーのことを嘆くだけではありません。
なぜか「ダイイチルビーのヒミツ」もダイイチルビー本人ではなくダイタクヘリオスによると思われるコメントが伝聞形式で紹介されています。
ゲームでも、ケイエスミラクルとダイイチルビーが話していると割って入ったり、ダイタクヘリオスは一生懸命ダイイチルビーに話しかけます。
しかし、ダイイチルビーはダイタクヘリオスによそよそしく、ダイタクヘリオスはそのたびに「塩い」とへこむのがお約束。
ここういったウマ娘での関係性には史実が影響しています。
競走馬・ダイイチルビーとダイタクヘリオスは同世代、ケイエスミラクルも近い世代でそれぞれ対戦経験がありました。
ダイイチルビーとケイエスミラクルは揃って記録タイムを更新したことも。
ですがケイエスミラクルは夭折してしまいます。
ケイエスミラクルの最後のレースで対戦し勝利したのがダイイチルビーだったのです。
ダイタクヘリオスはというと、対戦相手にダイイチルビーがいると落ち着かない様子を見せたことから当時は恋をしているのではないかと噂されるほどでした。
しかし、父にトウショウボーイ、母にハギノトップレディを持つダイイチルビーです。
カブラヤオーが近親にいるもののさほど目立った血統ではないダイタクヘリオスがダイイチルビーの相手になるとは考えにくいというのが現実でした。
そういったことからダイタクヘリオスの悲恋として話題になり、その史実がウマ娘にも反映されているのでしょう。
「ダイイチルビーのヒミツ」でダイタクヘリオスがコメントしていると前述しましたが、コメントは次のとおり。
「お嬢ん家のわんこ、サフィーちゃんてゆーんだけど超絶カワイイ」
このサフィーちゃんとは、ある競馬ゲームにおけるダイタクヘリオスとダイイチルビーの架空の産駒の名前・ファーストサフィーをもじったものと思われます。
実際にはダイタクヘリオスとダイイチルビーの間に産駒はいません。
【ウマ娘】ダイイチルビーと華麗なる一族
ウマ娘・ダイイチルビーは「華麗なる一族」の令嬢。
それは競走馬・ダイイチルビーの血統を知ればその反映である事がすぐにわかります。
ダイイチルビーの父は天馬・トウショウボーイ、そして母は二冠牝馬・ハギノトップレディ。
ハギノトップレディはイギリスから輸入された名牝マイリーを祖とする「華麗なる一族」の血統です。
この血統には1967年の優駿牝馬・ヤマピット、1973年の優駿賞最優秀3歳牝馬・イットー、黄金の馬・ハギノカムイオーらがおりまさに華麗の一言。
「華麗なる一族」という名称は、イットーが活躍した当時、競馬中継で解説をしていた詩人・志摩直人によりつけられたもので、ブームであった山崎豊子の小説のタイトルからとられました。
競走馬・ダイイチルビーは引退後は繁殖牝馬となり、その産駒にはダイイチシガー(父・トニービン)、ダイイチサイレンス(父・サンデーサイレンス)などがいます。
【ウマ娘】ダイイチルビーという元ネタになった競走馬について
競走馬・ダイイチルビーといえば1億円牝馬の呼び名があります。
驚くような良血による事一億円という取引価格からそう呼ばれたのです。
父・トウショウボーイ、母・ハギノトップレディという当時考え得る限り最高とされた夢の配合により、1987年4月、ダイイチルビーは誕生しました。
生まれつき脚に不安があったものの走りを見込まれ、時期を4歳に遅らせることで無事デビューを果たします。
1990年の新馬戦は武豊さんを背に出走し5馬身差で勝利。
ところが抽選に漏れ桜花賞には出走できず、変わりのオープン競走・忘れな草賞も2着に終わりました。
優駿牝馬は出遅れてエイシンサニーの5着。
休養後のエリザベス女王杯も出走権は獲得しましたがフレグモーネのため断念することに。
1991年の洛陽ステークスから主戦が河内洋にかわります。
京都牝馬特別で重賞初勝利をあげた後は惜しい順位が続きますがバンブーメモリー、ダイタクヘリオスと対戦した京王杯スプリングカップで優勝し重賞二勝目。
続く安田記念でもバンブーメモリー、ダイタクヘリオスと対戦、グレード制導入後初の牝馬による安田記念勝利を達成します。
両親のみならず華麗なる一族の面々が勝ってきた高松宮杯(当時(GⅡ)で2,000m)にも当然出走。
しかしダイタクヘリオスの2着に。
バンブーメモリー、ダイタクヘリオス、ケイエスミラクルとの対戦となったスワンステークスはケイエスミラクルの2着。
このレースでダイイチルビーはケイエスミラクルとともに日本記録をマークしています。
マイルチャンピオンシップでもバンブーメモリー、ダイタクヘリオス、ケイエスミラクルと走り、ダイタクヘリオスの2着に。
12月のスプリンターズステークスでは優勝。
これによってダイイチルビーはG1レースで牡馬相手に二勝した史上初の牝馬となり、牝馬の獲得賞金記録を更新します。
しかし対戦したケイエスミラクルはこのレース中に故障を発生、予後不良となってしまったのでした。
この年、ダイイチルビーは最優秀5歳以上牝馬、最優秀スプリンターを受賞しています。
1992年はマイラーズカップでスタートしダイタクヘリオスの6着。
京王杯スプリングカップでは5着。
安田記念はヤマニンゼファーの15着。
実は6歳になったダイイチルビーはすでに母になる準備が始まっていたのです。
馬主の辻本春雄さんはダイイチルビーのためにダイイチ牧場を作り、引退したダイイチルビーはそこで繁殖牝馬になりました。
20歳となる2007年に永眠。
蹄葉炎でした。
まとめ:【ウマ娘】ダイイチルビーが実装!ダイタクヘリオスの関係は?
ダイイチルビーは史実でも本当に「華麗なる一族」の出身であり、グレード制導入後の牝馬による安田記念初勝利、牝馬の獲得賞金記録更新、最優秀5歳以上牝馬受賞と経歴もまた実に華麗なものでした。
登場以前よりダイタクヘリオスが「お嬢」と呼んでいたため実装を確信していた人も多いダイイチルビーですが、いざ実装となった今、気になるのは史実の悲恋が反映されたウマ娘・ダイタクヘリオスの想いはダイイチルビーに届くのかということ。
今後の展開が楽しみですね。
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