朴訥で礼儀正しいウマ娘・ヤエノムテキ。
育成キャラクターとしては未実装ですが、武道家らしい雰囲気に注目している人もいるでしょう。
ヤエノムテキはあらゆることを修行と考え、常に自らを鍛え続けています。
そんなウマ娘・ヤエノムテキの性格には、元ネタである競走馬・ヤエノムテキのどんなところが影響しているのでしょうか。
実在したヤエノムテキの生い立ちや生涯成績、エピソードから考えてみました。
オグリキャップとの関係も要チェックポイントですよ。
【ウマ娘】ゴールドシチーとはどんなウマ娘?
和風の勝負服に鋭い眼差しのヤエノムテキは、礼節を重んじる熱血ウマ娘。
剛毅朴訥、正々堂々、眼光炯炯で礼儀正しく、常に己の研鑽にいそしんでいます。
ヤエノムテキのプロフィール
名前 | ヤエノムテキ |
ゲームでの実装 | サポートカード:SSR 育英キャラ:未実装 |
距離適性 | 中距離:A |
CV(声優) | 日原あゆみ |
ヤエノムテキにとっては、あらゆることが修行です。
ゲームセンターでは、風紀委員のバンブーメモリーですら思わず意気投合してしまうくらいの真剣さでゲームに挑み、自らを鍛えていました。
カフェテリアでは、大食いのオグリキャップの食事量を修行と勘違いして、負けじと追加オーダーをしたこともあります。
恋愛の歌を克服すべくサクラチヨノオーに相談した時にも修行と発言するほど、ヤエノムテキは常に修行に励んでいるのです。
ヤエノムテキの目標は、師でもある祖父母。
実家の「金剛八重垣流」の繁栄こそが育ててくれた家族への恩返しになると考えており、とても家族思い。
また、子犬のような弱く小さなものを守ろうとするなど、強さ故の優しさを持っています。
礼儀正しい一方、ヤエノムテキの重厚な立ち居振る舞いは時に度を超して周囲を驚かせることも。
ウイニングライブで、センターの責を果たすべく「押忍!」と叫び、サクラチヨノオーをびっくりさせたことがサポートカード「押して忍べど燃ゆるもの」で語られています。
その語り口調もヤエノムテキらしい大仰なものでした。
大袈裟なくらいに礼節をわきまえたヤエノムテキですが、漫画「シンデレラグレイ」によると過去には粗暴な性格であったそう。
今では、明鏡止水を保ちつつもレースで闘志を燃やしたり、オグリキャップに果たし状を渡そうとするなど、古風な熱血漢として描かれています。
サポートカードとしての性能は、汎用性の高いスキルを多く獲得できるのが長所。
育成キャラクターとしての実装はまだありません。
ストイックに己を鍛え続けるヤエノムテキ。
ヤエノムテキは、受け継いできた古いものを大切にするため自己研鑽に励み、頑張っているのでしょう。
【ウマ娘】ヤエノムテキの育成キャラの実装される可能性は?
ヤエノムテキは現在ゲーム「ウマ娘」ではSSRのサポートカードでは実装されていますが、育成ウマ娘としてはまだ実装されていません。
公式のキャラ紹介では制服姿は披露されているのですが、勝負服は披露されていませんでしたがサポートカードが実装された時点で勝負服が披露されました。
「ウマ娘 シンデレラグレイ」でもオグリキャップと対戦しているシーンで勝負服が披露されているのですが、ゲームではまだライバルウマ娘として実装されていませんのでどんな勝負服で登場するのか楽しみです。
【ウマ娘】ヤエノムテキの元ネタはどんな馬?
ウマ娘のモデルとなった競走馬・ヤエノムテキは、父がヤマニンスキー、母がツルミスターから誕生しました。
戦後すぐに活躍し、繁殖牝馬としても実績を残した名馬・トサミドリに連なる古い血統の持ち主です。
そんな競走馬ヤエノムテキはどのような馬だったのかを紹介していきます。
名前 | ヤエノムテキ (牡馬) |
調教師 | 荻野 光男(栗東) |
成績 | 23戦8勝 (中央競馬) |
獲得賞金額 | 5億1,830万円 (中央競馬) |
主な勝鞍 | 1988年皐月賞(GⅠ)1990年天皇賞(秋)(GⅠ)1988年京都新聞杯(GⅡ)1988年鳴尾記念(GⅡ)1989年大阪杯(GⅡ) |
主戦騎手 | 西浦 勝一 騎手 |
毛色 | 栗毛 |
ヤエノムテキは1985年に北海道浦河町の宮村牧場にて誕生しました。
ヤエノムテキを生産した宮村牧場の牧場長・宮村岩雄さんは、過去の血統だとの意見に負けず自家血統を頑固に守り続けていたのでした。
ヤエノムテキの競争生活は?
ヤエノムテキは1988年2月に新馬戦でデビューしました。
デビューの新馬戦で初勝利、沈丁花賞でも大勝します。
1戦目2戦目はダートでのレースでした。
前半の主戦騎手は西浦勝一さん、後半は岡部幸雄さん。
しかし重賞初挑戦の毎日杯ではオグリキャップに敗れ4着。
皐月賞は条件ギリギリだったものの抽選に通り出走が実現、クラシック初勝利をおさめます。
トウショウボーイ以来の早さでの皐月賞制覇でした。
続いての日本ダービーではサクラチヨノオーに敗退。
この後、休養などはさみ京都新聞杯を制覇、菊花賞に挑みますがスーパークリークに敗れ10着。
年末の鳴尾記念は勝利し、重賞3勝目とします。
1989年、年が明け日経新春杯で2着となりましたが、産経大阪杯では優勝しました。
この頃、調教師の荻野光男さんはヤエノムテキの適正距離は2000mであることに気がつきます。
ですがイナリワン、スーパークリークが活躍した宝塚記念、秋の天皇賞、有馬記念となかなか勝てずじまい。
翌年の安田記念からは騎手が岡部幸雄さんへ変わり、オグリキャップに敗れたものの好走2着に。
宝塚記念3着の後、秋の天皇賞ではオグリキャップを下しコースレコードにてG1レース二勝めをあげました。
引退レースはオグリキャップが優勝した第35回有馬記念。
最後だというのに、なんと興奮したヤエノムテキは本馬場入場で騎手を落として放馬。
なんとか出走できたものの、とんだ最後になったのでした。
元ネタのゴールドシチーとウマ娘のゴールドシチールの類似点は?
もともとヤエノムテキは気が荒いタイプで目を離すと牝馬を追っていたため単独で放牧されていたという幼駒時代のエピソードがあるほど。
その気性を配慮し、放馬がなくとも引退式は行わない予定だったそうです。
このような気性難がウマ娘・ヤエノムテキの過去に影響しているのでしょう。
引退後、種牡馬となったヤエノムテキですが、あのサンデーサイレンスに押されたこともあり奮わず、シンジケートは二度にわたり解散。
ファンの出資によって種牡馬を継続することができました。
種牡馬引退後は日高スタリオンステーションで繋養され、2014年に永眠。
現役引退後のヤエノムテキがファンに支えられたという史実が、育ててくれた恩を返したいというウマ娘・ヤエノムテキの家族思いな性格に反映されているように思います。
古風で家族から受け継いだものを大切にするところは、生産牧場が古い血統にこだわっていたことに由来しているのではないでしょうか。
「シンデレラグレイ」でのオグリキャップ、スーパークリークとの関係も、史実を思わせるものです。
ヤエノムテキの血統表
ヤエノムテキは父ヤマニンスキー、母ツルミスターの間に産まれた牡馬の競走馬です。
父
ヤマニンスキー |
父の父
ニジンスキー |
父の母
アンメンショナブル |
|
母
ツルミスター |
母の父
イエローゴッド |
母の母
フジコウ |
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まとめ:【ウマ娘】ゴールドシチーとはどんなウマ娘?実装の可能性は?元ネタの馬はどんな馬?
ウマ娘に登場しているヤエノムテキについてどのようなウマ娘なのか?
ゲームではいつ頃育成ウマ娘として実装されるのかについて紹介しています。
また、ウマ娘のモデルとなった競走馬ヤエノムテキはどのような馬だったのかを紹介しています。
引退レースで放馬という、とんでもなく豪快なエピソードを持つ競走馬・ヤエノムテキ。
ですが、そんなところを愛した人も実は多かったのではないでしょうか。
引退後のヤエノムテキの事情から、そのことが伝わってきました。
印象的な競走馬であるだけに、ウマ娘としてのさらなる活躍が見てみたいものです。
ウマ娘の世界ならではの「もしも」の世界線で、もう一度、オグリキャップと戦って欲しいと思います。
ヤエノムテキの育成キャラクター化が楽しみですね。
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