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【ウマ娘】樫本理子のモデルはサンデーサイレンス?元ネタとの比較を解説!

ウマ娘

ウマ娘たちのモデルは実在した競走馬であり、許可のとれているウマ娘はそのモデルを明らかにし紹介しています。

そんな中新シナリオ「アオハル杯~輝け、チームの絆~」に登場した理事長代理の樫本理子。

そんな彼女のモデルとなった競走馬がサンデーサイレンスではないかと言われています。

そこでこの記事では、樫本理子とモデルと目される競走馬かつ大種牡馬・サンデーサイレンスについて比較し、まとめてみました。

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【ウマ娘】樫本理子のモデルはサンデーサイレンス?

2021年8月より新育成ストーリー「アオハル杯~輝け、チームの絆~」が実装されています。

その中心人物となるのが、理事長代理の樫本理子。

そこで樫本理子とはどんな人物なのか?そしてモデルと言われている競走馬サンデーサイレンスとはどんな馬なのかを紹介していきます。

樫本理子とはどんな人物?

アメリカ出張で多忙となる秋川理事長直々の指名による代理ということで、信頼の厚いことが伺える樫本理子。

かつてトレーナーとしてトレセン学園所属しており、現在はURAの幹部職員をつとめる優秀な人物です。

モットーは「徹底管理主義」。

「管理教育プログラム」への教育方針の転換とそれに伴うチーム戦廃止を発表。

生徒たちの反発をうけ、延期された「アオハル杯」で決着をつけることになりました。

トレーナーとしての能力は高く、一度に多くのウマ娘をレベルアップさせることも可能なほど。

担当チームは「ファースト」。

リトルココンからビターグラッセが所属しています。

一見、理知的で厳しくクールなように見えますが、ちょっとした手助けをしてくれたりと実は優しい一面も。

シナリオ中では友人枠で登場するライバル。

サポートカードは友人枠SSR「徹底管理主義」で、レースボーナスとファン数ボーナスを持っています。

サンデーサイレンスとはどんな馬?樫本理子のモデルと言われる理由は?

そんな樫本理子はサンデーサイレンスがモチーフだといわれているのです。

サンデーサイレンスは1986年にアメリカで誕生した元競走馬で種牡馬。

幼い頃は見栄えが悪くセリで売れ残るほどでした。

腸疾患、自動車事故で生死の境をさまよったこともあります。

それでも競走馬としてデビューすると、G1レースを6勝しエクリプス賞年度代表馬に選ばれるといった活躍を見せました。

1990年、ライバルのイージーゴアと決着をつけるレースの準備を進めていましたが、イージーゴアが故障で引退。

サンデーサイレンスも靱帯に故障が見つかり引退が決まりました。

アメリカの競馬界の事情からサンデーサイレンスの種牡馬としての評価は高くなく、サンデーサイレンスの所有者・アーサー・ハンコック3世さんがシンジケートを組んだものの難航。

そこへアーサー・ハンコック3世さんと旧知の仲でありもともとサンデーサイレンスの持ち分の一部を所有していた吉田照哉さんが話をもちかけ、父の吉田善哉さんによってサンデーサイレンスは購入されました。

言わずもがな、吉田さん親子は社台ファームのオーナー。

日本の馬の血統レベルを世界水準へ引き上げたノーザンテーストに続く種牡馬を必要としていたのです。

これが日本競馬界に革命をもたらしました。

サンデーサイレンスは1995年~13年連続リーディングサイアー、2007年リーディングブルードメアサイアーを獲得。

日本の競馬界に大きな影響を与えたそのサイアーラインはサンデーサイレンス系とよばれ、アグネスタキオン、マンハッタンカフェ、フジキセキ、スペシャルウィークもこの系統です。

父・ヘイロー譲りなのかサンデーサイレンスには気性の荒いところがあり、その性質は競争能力とともに産駒たちにも受け継がれました。

エアシャカールやマーベラスサンデー、ステイゴールド産駒のゴールドシップやナカヤマフェスタなどはその気性がよく知られています。

2002年に蹄葉炎で他界するとその悲報は世界中に伝えられました。

このように、サンデーサイレンスはノーザンテーストの後継となった大種牡馬です。

そしてノーザンテーストは秋川理事長のモチーフではないかと推測されています。

樫本理子が秋川理事長の代理をつとめていることから、ノーザンテーストの後継であるサンデーサイレンスがモチーフではないかとささやかれはじめたのです。

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【ウマ娘】樫本理子とサンデーサイレンスとの比較を解説

樫本理子のモデルだとされるサンデーサイレンスと樫本理子をあらゆる角度から比較してみましょう。

秋川やよいと樫本理子の関係

秋川やよいのモデルとされるノーザンテーストと樫本理子のモデルとされるサンデーサイレンスの関係から見てみましょう。

サンデーサイレンスは歴史的大種牡馬・ノーザンテーストの後継を求める社台ファームによって輸入され、日本競馬を大きく発展させました。

一方の樫本理子は理事長代理としてトレセン学園へ着任。

「替わりになるもの」という点が共通しています。

また、費用の約16億5000万円はノーザンテーストの成功によって得たものであり、購入には吉田照哉さんの人脈が必要不可欠でした。

樫本理子は秋川理事長直々の指名で着任。

前任者の存在と人脈があってこその後継という点も共通しているように感じます。

ちなみにノーザンテーストもサンデーサイレンスも、吉田照哉さんがアメリカで購入。

サンデーサイレンス購入にあたっては「アメリカに下宿しなくては」という言葉が吉田善哉さんからでており、秋川理事長のアメリカ出張はこのことが関係しているようにも思われます。
次に名前に注目してみましょう。

名前からの比較

樫本の「樫」は、サンデーサイレンスが生産された牧場「Oak Cliff Throughbreds Ltd.」の「Oak(オーク)」からきているのではないでしょうか。

「Cliff( klíf)」と「理子(りこ)」の音も似ているといえなくもないです。

口調からの比較

またサンデーサイレンスの「Silence」つまり「沈黙」は、樫本理子の口調の特徴である「・・・」に反映されているようにも思えます。

容姿からの比較

容姿を比較すると、サンデーサイレンスは黒鹿毛で樫本理子は黒いスーツにブルネット。
全体の印象が黒いというのが共通点です。

樫本理子の立ち上がった髪の反射部分は、サンデーサイレンスの流星に見えることもあります。

運動が苦手

ウマ娘のシナリオの中に樫本理子は運動音痴であるというトピックスがあります。

それについてはG1で6勝もしたサンデーサイレンスは程遠いといえます。

しかしそのサンデーサイレンスも幼駒時には後脚に湾曲があったり、重い病気にかかったり決して身体的に恵まれていませんでした。

それが樫本理子の運動音痴という設定に繋がっているのかもしれません。

運動音痴のため苦手なダンスのかわりに歌の指導はできるようで、樫本理子のサポートカードイベントのひとつに「歌には想いを乗せて」があります。

アーサー・ハンコック3世さんの趣味は作詞作曲。

サンデーサイレンスの歌も作って、披露していたそうです。

樫本理子が歌詞や曲の意味を大切にするのはこのためかなと思ってしまいます。

たくさんのサンデーサイレンス産駒、あるいはさらにその産駒がウマ娘のモチーフになっています。

もしも樫本理子のモチーフがサンデーサイレンスだとしたら、「アオハル杯」は子孫たちが親に挑む物語ということになるわけですね。

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樫本理子はウマ娘?

これまで、理事長代理である樫本理子のモデルはサンデーサイレンスではないかと検証してきましたが、気になるのは「樫本理子はウマ娘だったのか?」についてです。

これについては理事長の秋山やよいや秘書の駿川たづなも元ウマ娘ではないかという疑惑があり二人とも帽子をかぶっていて耳はどうなっているのかわからないので何とも言えませんでしたが、樫本理子は帽子をかぶっておらず、そして人間の耳の位置に耳があることから人間だと言うことが確認できます。

よって樫本理子はウマ娘ではないという事がわかります

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まとめ:【ウマ娘】樫本理子のモデルはサンデーサイレンス?元ネタとの比較を解説!

ウマ娘に登場する樫本理子のモデルはサンデーサイレンスではないかということで検証してみましたが、その可能性は高そうです。

少なくとも要素としては取り入れられているようです。

そして樫本理子とはどんな人物なのか?またそのモデルと言われているサンデーサイレンスとはどのような馬なのかを紹介し、サンデーサイレンスがモデルのではと言われる理由を紹介しています。

また樫本理子サンデーサイレンスをあらゆる角度から比較して、類似点を検証し解説しております。

そして樫本理子はウマ娘なのかについてみると、樫本理子は帽子をかぶっておらず人間と同じ耳がはっきり見えていることを見ると検証すると人間だとわかります。

そんな樫本理子の謎はまだまだ尽きません。

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