「ウマ娘 プリティーダービー」で登場するオグリキャップについて紹介するにあたって、元ネタであるオグリキャップ(馬)を知ることで、ゲームをするにも、漫画「ウマ娘 シンデレラグレイ」を見るにも数倍面白くなります。
そこで、この記事では元ネタであるオグリキャップについて紹介し、ウマ娘に出てくるオグリキャップはどのように表現されているのかを紹介していきます。
オグリキャップとはどんな馬?
オグリキャップとはどんな馬?と一言で言えば競馬をカジュアルにした馬ということが言えます。
そんなオグリキャップという馬を紹介していきます。
オグリキャップの経歴
生年月日 | 1985年3月27日 |
出身地 | 日本(北海道三石町) |
毛色 | 芦毛 |
生涯成績 | 32戦22勝 (中央競馬20戦12勝/地方12戦10勝) |
獲得賞金 | 9億1251万2000円 |
主な勝鞍 | 有馬記念(GⅠ) 1988年・1990年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ) 1989年 安田記念(GⅠ) 1990年 ニュージーランドT(GⅡ)1988年 高松宮杯(GⅡ) 1988年 毎日王冠(GⅡ) 1988年 ペガサスS(GⅢ) 1988年 毎日杯(GⅢ) 1988年 京都4歳特別(GⅢ) 1988年 オールカマー(GⅢ) 1989年 |
なぜオグリキャップが人気だった?
私自身は中学生時代にオグリキャップのレースを見ており、既に人気だったオグリキャップを見ていました。
ではなぜオグリキャップが人気になって行ったかを紹介していきます。
・地方競馬張りのローテーションで中央で出走して、数々の名勝負を演じていた。
・中央競馬に入ってから6連勝と活躍し注目を集めていた
・もうオグリキャップは終わったと言われながら最後の有馬記念で優勝した。
この様に、日本人の大好きな筋書き(弱者が強者に勝つ)を見事に演じたのがオグリキャップだったと思います。
馬主の意向が大きかったのかもしれませんが、中央に入ってからのローテーションが結構きつめだったと言われています。
しかし、それでも全力で走るオグリキャップにファンは感銘を受けていたようです。
女性ファンが多かった
オグリキャップには多くの女性ファンが付いていました。
競馬場のイメージがオヤジ臭いイメージからこの頃はオグリキャップや武豊の登場により、アイドル的なイメージが強くなり、女性客が増えたと言われています。
JRAのCMに賀来千香子が起用されており、その頃にオグリキャップ物語的なドラマも放送されていました。
決定的だったのがオグリキャップのぬいぐるみが発売されたことが女性ファンが増えた要因になっているようです。
オグリキャップのぬいぐるみは、300万個の売り上げようで、クレーンゲームのぬいぐるみを合わせると1100万個程売れたようです。
ちなみにうちの家にもありました。
オグリキャップの血統
オグリキャップは突然変異の名馬と言われており、決して血統的に恵まれた馬ではなかったのです。
オグリキャップの血統表
オグリキャップ | ダンシングキャップ | ネイティブダンサー |
ホワイトナルビー | シルバーシャーク | |
ネヴァーナルビー |
オグリキャップの初代馬主である小栗孝一さんが所有していたホワイトナルビーに当時笠松で種牡馬として優秀な成績を収めていたダンシングキャップを交配してオグリキャップが生まれました。
血統的に大したことのないオグリキャップは超大物種牡馬「ネイティヴダンサー」の隔世遺伝だ!と言われるぐらい活躍しました。
オグリキャップの妹も活躍
オグリキャップの妹のオグリローマンもオグリキャップと同じように地方競馬から中央競馬に移籍して活躍しました。
オグリローマンは、兄が出られなかったクラシックに出走し、桜花賞に勝利しました。
鞍上は、オグリキャップと引退レースの有馬記念に勝利した武豊でした。
オグリキャップのエピソード
オグリキャップには数々のエピソードがあり、それらのエピソードがウマ娘のオグリキャップに反映されています。
そこでオグリキャップの有名なエピソードを紹介していきます。
生まれつき足が曲っていた
オグリキャップは生まれつき右前脚が大きく外側に曲っており、生まれてから自力で中々立ち上がる事ができませんでした。
通常の仔馬は生まれてから30~90分位で自力で立ち上がるのですが、オグリキャップはそれがなかなかできず、牧場長は、そんなオグリキャップに元気に育って欲しいという願いを込めて「ハツラツ」という名前を付けたようです。
曲った右前足を改善するために牧場長がオグリの蹄を削って脚の矯正をし続けて右前足を改善させていったそうです。
「ウマ娘 シンデレラグレイ」でも、オグリキャップは小さい頃足が悪かったのでお母さんに足をマッサージしてもらっていたというエピソードが使われていました。
食欲旺盛なオグリキャップ
オグリキャップは母ホワイトナルビーの母乳の出が悪いことから授乳をあまり受けてないようで、幼少時代はやせ細っていたようです。
そう言ったことがあってオグリキャップは雑草だろうが食べれるものは何でも食べるというという食欲旺盛な仔馬になり、1歳秋頃になると見劣りしない立派な馬体になったようです。
オグリキャップを調教していた瀬戸口調教師は、「オグリキャップは飼い葉をモリモリ食べていた」や「飼い葉桶に顔を突っ込んで美味しそうに食べており、エサを食べる音が違う」と言っていたようです。
ウマ娘で登場するオグリキャップも大食いの写実が多く見られます。
ドーナツの大食い大会でぶっちぎりの優勝をしていたエピソードがありました。
ウマ娘 シンデレラグレイでも食堂のご飯をてべ尽くすと言った話も出てきていました。
オグリキャップの驚異的な身体能力エピソード
オグリキャップの逸話にはとてつもない身体能力があったと言われています。
力強い脚力のオグリキャップ
オグリキャップの差し脚は凄まじい物があり、蹄鉄の摩耗が激しく爪が穴だらけになっていたと調教師が語っていました。
「ウマ娘 シンデレラグレイ」でもボロボロのスパイクを履いている写実が描かれており、トレーナーのキタハラに新しい靴を数足買わしていました。
オグリキャップの柔軟性が凄い
ウマ娘 シンデレラグレイでオグリキャップの柔軟性について触れられており、その柔軟性にトレーナーのキタハラは惚れ込んでいました。
実際のオグリキャップもすごい柔軟性だったようで、厩務員がオグリキャップの馬体をブラッシングしていると、普通の馬では絶対に届かない場所でも噛みついてくるようです。
速く走るコツとして柔軟性が備わっていたようで、騎乗していた南井騎手はオグリキャップに対して柔軟性が凄いと太鼓判を押していました。
オグリキャップはスポーツ心臓を持っていた
オグリキャップはスポーツ心臓を持っていたと言われています。
通常のサラブレッドの場合、安静にしている時の心拍数は30~40に対して、オグリキャップの心拍数は24~27と低い数値で、オグリキャップは強靭なスポーツ心臓の持ち主だったといえます。
人懐っこい性格と勝負根性
オグリキャップの強さの秘訣は恵まれた身体能力だけではなく、前に馬がいれば抜いてやろうと思う勝負根性も強く負けん気がとても強かったと言われています。
しかし、普段は物凄く大人しくて人懐っこい性格の馬であったようです。
この様な性格からどんなレース展開でも対応してこなし、限界を超えた走りができたようです。
笠松時代のオグリキャップ
オグリキャップは1987年1月に笠松競馬に所属し、当時の馬主小栗孝一さんが命名した名前「オグリキャップ」でデビューをします。
オグリキャップのデビュー序盤
オグリキャップのデビュー戦は3コーナーで不利を受けながらも重心の低い走りでマーチトウショウのクビ差の2着となり、負けてしまいましたが関係者からはその走りを評価されていました。
その後2連勝した後に再びマーチトウショウとの対戦でオグリキャップは2着となり敗れます。
この2度オグリキャップに勝った馬「マーチトウショウ」は「ウマ娘 シンデレラグレイ」にカサマツ時代に登場していた「フジサンマーチ」のモデルとなった馬です。
オグリキャップが2度負けたレースは共に800mの超短距離レースだった。
笠松時代のオグリキャップの目標
オグリキャップの笠松時代の目標は「ウマ娘 シンデレラグレイ」でも語っていた「東海ダービーに勝つこと」でした。
5戦目以降連勝をしていたオグリキャップに乗っていたアンカツこと安藤勝己(当時地方競馬所属)は秋風ジュニアで圧勝した後、
「どえらい馬だね!間違いなく東海ダービーを取れる」
と語っていたぐらい目標に近づいていました。
中央への移籍話のエピソード
5戦目以降8連勝と連勝していたオグリキャップの元に、中央の移籍話が入ってきました。
馬主や調教師は笠松で活躍させ、東海ダービーを制覇を目指していたのですが、新馬主になる佐野氏による説得で、中央移籍を承諾します。
この辺りは「ウマ娘 シンデレラグレイ」でキタハラとシンボリルドルフとのやり取りで再現されておりました。
オグリキャップは1988年1月に約2,000万円で売却されましたが、小栗氏は条件をつけました。
オグリキャップ中央移籍の条件 |
◉中央の芝に向いていない場合は笠松に再び戻す |
◉中央競馬で勝利したらウイナーズサークルの写真撮影に招待する |
◉種牡馬になった場合は種付けの権利を優先的に与える |
◉自分の名前が入った馬名は変えないように |
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